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和田东郭《蕉窗杂话》初编 日文版

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高中生

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发表于 2013-6-30 16:18:59 | 显示全部楼层 |阅读模式

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以下は和田東郭先生の「蕉窓雑話」の一部、初編です。

数年前になりますが勉強会の資料として私が打ち込みました。誤字や脱字があるかと
思いますがご了承下さい。手書きの分では読み下しの後に口語訳もつけたのですが
ここでは省略しています。初編以降は遅々として進んでいません! しかしながら
多くの漢方家が過去に引用してきた名文は、ほとんどこの初編の中にあるといっても
いいくらいです。

「蕉窓方意解」も、打ち込みが出来ましたら載せたいと思います。
こういう作業はできれば20代の体力のあるうちにやっときたいですなあ!

なお跋文は小松一学兄によるものです。

蕉窓雑話跋

先子少き時、医を東郭和田先生に学ぶ。其の次に侍れば、先生毎に説話有り。輙ち諸子に筆を与へ、以て之を記す。後輯に会はせて巻と成す。名づけて蕉窓雑話と曰ふ。其の言の医話に於けるや、一語金玉、故を以て人の密かに写遂する所と為りて、以て流して世に播す。先子、其の魯魚実を誤り、荊璧真を失するを懼れ、諸子と謀りて之を先生に請ひ、以て上梓せんと欲す。而して先生忽ち簀を易へ、遂に之を果すこと能はず。爾後、諸子も亦継逝す。先子、毎に慨恨するを以て、戊寅の夏、疔瘡を病む。湯薬の間、乃ち取て之を校す。又以て一二の言を附し、将に以て上木せんとすれば、既に愈ゆ。而して事務に礙げられ、稽留し、越年すれば則ち旧毒復発し、遂に起つこと能はず。其の辞世に及んで予に嘱す。以て事を梓せよと。予、不肖にして斬す。焉くんぞ哀経哭●(ヘキ)の中に在れば、未だ奉命すること能はざる。今茲に除服すれば則ち急ぎ剞●(ケツ)せんと謀り、以て世に壽す。聊か以て冀はくば、遺命懇々の万一を称すと云ふのみ。

文政辛巳夏六月      服部主一 謹識

蕉窓雑話初編

東郭和田先生燕語        門人筆記

医たるもの、よく心を用いるときは、事々物々の中、自然と我が道の法則と思い合わ

すべきことを寓するものあり近来、宋画の鶴を得て壁間に掛けおき、毎々見て且つ巧者

の人に、その画法のよくきまりたることを聞き、また傍ら飛鳥井家に畜れたる生きたる

ものを見などして、近頃よほど鶴の画の見ようを覚えたり。然るに、別に本より持ちた

るところの鶴の画あるを、この頃掛けて見るに、前方は大抵よきとおもいし鶴、先の宋

画に比するときは、何分見るに堪えず。これ、この宋画そのおしところの形、幾つも覚

えたる故なり。これを以て見るときは、病を診察するも全くこの如きものにて、とにか

く丁寧に、この方の見覚えの形幾つもできるときは、自然とその病の深浅吉凶を見分け

ること分明なり。さてまた診察の方と云うも、別に子細あることにも非ず。然るに近世

所謂古法者流と称するものなど多くは、皆古の法則と云うことを主張して、徒にこれを

その箇条、症候の書付けにのみ求む。随分これにて、表向き一通りの形はすめども、そ

れのみの場にて術を取るときは、突付け学問と云うものに成るなり。実の活方は然らず

。その突付け学問と云う子細は、先ず寒熱来去して、胸脇苦満、嘔吐などある者、一通

りのかたにては小柴胡の証と云うは、さしずめ知れたることなり。書面のみにて云うと

きは左様なれども、その病人に対して精しくこれを診察し、細かにその因を推すときは

、右の症候にてもなかなか小柴胡ばかりに非ずして、色々用うる薬あるものなり。右一

通りの形のみにて行うものならば、古の書を能く読み覚えさえすれば、随分それにて見

事できることなれども、なかなかそればかりにては行かぬものなり。故にとにかく同証

のように見ゆるものも、その病因、及び少しづつの具合いにて、色々以て行うところの

薬に違いあり。形、法則ばかりにてできるものなれば、それさえ覚ゆれば誰も別に術の

巧拙はなき筈なり。故に本論に大承気湯、四逆をつり合わして挙げてあり、薬は大いに

違えども、その見かけ一通りのところは同様にして、甚だ分かち難し。故にこれを並べ

挙げたるところのあんばい、実の活法と云うものなり。これまた有法の方は死方なり、

無法の方は活法なりと云いて実の術の活法を云うときは、その形、法則にくくられずし

て無法の方を得るを、真の活法とは云うなり。形、法則にくくられるは、有法の法にて

すなわちこれ死法なり。実の活法を得たりと云うべからず。この場をよくよく呑込んで

修行すべし。



まず診察の法を、物に比類して見るに、何よりもたやすく、別にかれこれの法に及ばざ

ることあり。総て術のことは、ただ、あたりなしに論ぜんよりは、物に比して見るべし

。その診察と云うは、今、祇園に二軒茶屋などの如きところに、五、、六人も、木机に

腰かけ並び居るに、下河原の向こうより、坊主頭に大小を指して、出で来る者あらん。

各、これを何者なるやと云うときに、或はこれは法親王方の坊官なりと云い、或は山伏

なりと云い、或は五山の行者なりと云う。衆評まちまちなるとき、よく出で来る者の人

となりを見るときは、一つも右の指すところにはなくて、反って、これは侍の隠居せる

者なりと、見ゆるも有るべし。医の病を診するは、全くここからのところなり。ただそ

の丸き頭にして、両刀を横たえたるところは、右の各の云うところに合すれども、ただ

、このところばかりにて見定まるときは、大いに見違いあるものなり。然らばとて、侍

の頭に「さ」の字もなく、山伏の面に「や」の字もなけれども、ただ、自然のところに

、その人品、持前のところは、どこともなく違うものなり。その違うところを見覚ゆる

が診察なり。無法の法と云うも、これなり。侍に「さ」の字、山伏に「や」の字と云う

ようなることなれば、誰も同じことにて、見違いもなく、巧拙もなけれども、決して左

様にはなきもの故、このところを、よくよくわきまえて、夙夜汲々として工夫鍛錬すべ

し。これを求むること、深切なるときは、庭の樹木を見るにも、山に遊び海に泛び、ま

た煙草盆一つを手にひいてみても、事々物々の中に、自然と我が術の工夫の手掛かりと

なること、寓してあるものなり。とにかく、我が業とする一芸にこり固まりて習熟すべ

し。必ず多端なるときは、術の精妙に至ること能わず。もし、その多端なるを省きて、

一筋に心を趣しめ、これを思い、これを求むるときは、我が相応に見識の開くことは、

ほつほつとできるものなり。この如くにして、一旦豁然たることを得るに至っては、実

に手の舞い、足の踏むことを知らざるの喜びあり。ただ一途に術のことを求むべし。




昔、備前の国の某なる士、代々、槍の家なりしに、或時その家の主人に甚だ愚かな

るが生まれでて、実に朋友のつきあいの挨拶等もできぬくらいにて、主家への朔望の勤

めも時々忘れる程の人なりしが、その術に於いては妙処を極め、その国の諸流も敢えて

当たること能わず。且つ、その祖にも劣らざる者と、一国の衆評ある故、愚かなる人な

れども、やはりその術を以て、家を続けしめられたり。その愚かなる中にも、我術のこ

とには色々工夫ありて、その人平日得ては、厠に至りて出ざること半時、或は一時に過

ぐることのあること毎々なりし。故に、後々には家人気をつけて、もし厠の中にて気を

閉じることもあると窓より窺い見れば、兼ねてより厠の中へ箸を二本入れ置くことを工

夫しおいて、厠に居ながらその箸を両手に構えて、左右よりつき合って、槍をつかうま

ねをして、程よく意に落ち合う時とおぼしく、ニコニコと笑う時もあり、また、さもな

きかして面にしわして工夫するときもあり。これを以て時を移せども出ず、且つ、傍ら

より人の己を窺うことも知らず。もしあまり時を移すにより行いて、食事の過ぎるなど

を告ぐるときは、始めて驚きて厠を出るなどというさまのようにありしとなり。かよう

にありてこそ、その術も妙処に至るべしと、戸田先生の物語りして毎々感ぜられしこと

なり。また、ある鞠の家に生まれて、その芸に妙を得たるひとあり。これは七歳の時よ

り、七十歳まで毎朝未明より起きて、鞠を蹴ることを怠らず、常に雨天には内にて蹴り

、天の未だ明けずして鞠の上より落つるの見えざるにも、やはり誤らず蹴りたりとなり

。一芸に名ある人は、皆この如し。銘々我が業を励むことは、この如きこそありたきも

のなり。



医の心得るべき一大事あり。病人を療治するとき、先ず一番に、我が胸宇を杜塞す

るの茅楚あり。その子細は、もしこの病人を仕損じたらば、世の人の我を庸医なりと云

わん、病家の我を罪せんや、と思うこと一番に我が胸宇を塞ぐ茅楚となりて、肝心の病

本は察せられぬなり。この意をよくよく穿鑿すれば、人の疾苦を救いひとを愛するの職

と云うは、表向きになりて、実は我を利し我を愛すと云うものにて、不忠の至極なり。

ここに処する人は何ほど苦心しても、ついにその術の妙処を候うこともなり難く、また

人よりも却って好く思はれざるものなり。それ人の性命は至って大切なること故、大病

と思はば生死はかるべからずのこと、及び我が術の分限をも、ありていに病家へよくよ

く演説すべし。その上にて病家一決し、いよいよ我に委任せば、丹誠を抜きんでて抽で

て治を施し、後日の褒貶キ誉のことを脱却して、ただ忠誠ばかりになりて、何とぞ病人

を救いたく思うより外に余念なく、ただ病人と我と向い合いたるのみにて、傍らに碍る

ものなき心持ちになりて、我が力量一杯の治を施すべし。もし我が思わくの通りに愈り

ずんば、即ち我が手にて打ち殺すべしと覚悟を極めて取りかかり、他人の口舌に拘わる

ことなく、ただ一念に診察処方に心を尽くすべし。この如くするときは、たとえ治効な

くても我が忠誠、自然に人心に徹通して、けっして我を怨むることはなく、却って深く

信ずるものなり。これ我が道に私せずして力を尽くすが故なり。



時疫は歳によりて万気の違い、病むところの症も同じからず。温疫論に説くところ

の戦汗を得て解すると云う症も、何時にてもこの通り病むに極まりたるにあらず。この

症も先年流行せり。近年は見えず。唯傷寒論は万代不易の方書にて、たとえ病む所の症

変わりても、その度に応じて用いらるるなり。もし呉氏の云わるる通り初めより邪気半

表半裏にありて、発汗桂麻の類用い難しとせば、柴胡剤よりして入るべきなり。達原飲

は九味清脾飲の変方なり。また呉氏は承気湯を用ゆるに長ぜりと云う程、承気は逐邪の

為に設け、結糞に拘らずと云えるあたりは、承気の意を得られたり。然れども柴胡剤を

用ゆるには短なり。いかんとなれば大柴胡、または柴胡加芒硝の行く所へ概して承気を

用い下して後に、始めて柴胡清燥及び養栄の類を以て調理の方とせり。傷寒論の陽明篇

に熱邪の胃府に陥入する間を待つけ、小柴胡を用ゆる手段は治療の細密の場にて、仲景

氏の教えは格別なり。



大柴胡湯、または柴胡加芒硝湯の行く処へ、概して承気湯を用ゆれば、瀉下は同じ

なれども、両脇心下の痞を緩むこと今一層力薄し。よくよくこの処を分別すべし。承気

湯の腹候は心下くつろぎて、上より下へ向けてしっかりとかかりて脹るものなり。また

陽明篇に説くところの小柴胡湯は、この証、是非とも大承気の位に進まざれば解せざる

熱勢ある故、小柴胡にて両脇及び心下を軽々にあしらい緩めて、中かん以下に硬満する

までを待ったる手段なり。 またこのところへ大柴胡、柴胡加芒硝など用い瀉下する時

は、さっぱりと解熱はせず反って荏苒としたる様子になり、終いには壊証となるものな

り。このところの大小柴胡または柴胡加芒硝湯の行く場、それぞれに差別有りて少しも

雷同せず、瞭然として明らかなる分かれめ有り。各このところを意を得て心識すべし。



按ずるに先生傷寒論に於て柴胡加芒硝湯の章を説いて曰く、この証に云う、日「所

潮 熱を発す、また潮熱者実也など、これ証すでに陽明胃実の証を帯びたり。故に承気

湯を 用ゆべきところなれども、胸脇満ちて嘔の証未だ去らざる故、大柴胡方中芒硝を

加え用 ゆるなり。即ちこれ大柴胡、大承気合方にして方中厚朴を去りたる方なりと云

えり。


疫症に大柴胡或は大柴胡加芒硝など用いて解熱して後、大いに肝気動かして譫言、妄

語して狂の如く、これを攻れば攻る程その勢い盛んになるものなり。このところにて取

り扱い悪しければ必ず仕損ずるものなり。余往年この症にやはり下剤を用いていて何分

治せざりしを、一医至りて小剤の十一味温胆湯を用いたれば、服すること一貼にして譫

妄さっぱりと止みたることあり。また同症に腹診の差別ありて」抑肝散を用いて治した

ることもあり。


常々云うる如く、凡その病人勢い猛烈にして対症の薬を用いては反って扞挌して勢い

ますます盛んに成るべきものには、彼の幕にて鉄砲を受けるの術を行うべし。これ万病

を望むに第一に心得べきなり。故につつかかりに四逆散加大黄とも行うべき症にても、

何分その薬に激すべき勢いありて、或は薬こごとを云う者などは、思いの外先ず小剤の

理気湯と云うようなるものを用いて、一きわ和らぐべし。それにて一旦和らぐところを

つけこみ、適当の剤を用ゆべし。 とかく治術は、いか体の手ぎわもしかねぬ力量あり

て、綺麗に品よく療治をすべし。



凡そ薬方を取り回すには随分なるべくは、古方中に求めてこれ非ざれども、古方にて

事のかけると云うところを近方にて補うようにすべし。さればとて只ムチャクチャに古

方に癖することには非ず。力一杯、古方の具合いをよく味わいて用い、その力を以て古

方のすき間へ入る近方を吟味すべし。何故にこのことを平生云うぞなれば、右の場を悪

く心得れば治術の上にて大いに誤ることあり。或門人西村孝安なる者、冬より微邪に感

じてありしが、春に至って猶未だ癒えず。これに因りて門派の者ども、日々問い来て面

々案を進む。孝安今すでに年五十二と云い、且つ脈腹も頗る労役の候ありとて、一旦は

医王湯を用い、後また升陽散火湯に生姜、炒姜、地骨皮等加味して用ゆれども治せず。

これに因って余も自ら行いてこれを診察するに、その脈 弦なり。然れども強いて脱候

と云うべき程のことも見えず、舌には微しく白胎あり。その腹部を按ずるに、心下支結

して両肋下より、二行通り実に竹を立てたる如く、皮表までもつっぱりて手を弾じくが

如し。しかも久しく按腹しているうちに、著しく鳴り出て留飲の下るを覚ゆ。余、とく

と按ずるにこれまで虚脱の候ありと云う程のことにてはなく、彼の舌候と脈中の伏邪の

勢いと相応す。これ邪気未だ解せざるところある故なり。脈の□弦なるは、腹部の拘攣

によれるなり。もし拘攣もなくしてぐさついたる腹にして、この脈を見さばいかにも労

役の悪脈とも云うべけれども、さには非ず。 この症必ず拘攣を緩むるを先とすべしと

て、柴桂湯に芍薬甘草湯を合し、広参二分を調えたるを用いて、拘攣緩み舌胎も消した

り。全体この症を各労役と見たるは、第一老人と云い、殊にこの人すこしく煩いあると

きは、甚だ労役したる者の如き顔色あると脈の□弦なるとを以てなり。然れども、この

人兼ねてより調摂に於いては、最も称すべきところありて、世事を以て心を労せず能く

その分を安んじ、情欲を省きて下元を損じざれば、 さして労役すべきことも無けれど

も、近頃少しく肝気を動かしたることあり。故を以て、その動かしたるところへ邪気を

しめこみて解することを得ざりしものなり。ここに因って、その拘攣を緩むを先とする

なり。 かようのところへは、医王、散火などにては行きすぎて程よく解するものに非

ず。手近く古方中にあることなれども、ただ近方の手馴たるに惑わさるるなり。これら

のところを以て、余が平日示すところを考え、 根気かぎりに古方の具合いを詳らかに

し、それより近方へ推しうつすべし。然らざれば毫厘千里の謬あるべし。医の最も先務

とすべきところは、ここに止まることと知るべきなり。



凡そ疫病に大熱、煩渇、譫語等の症、熱は火の焼けるが如く、渇は焼石に水を潅ぐ

が如く、譫語は狂人の語るが如くありて、 衆医皆曰く、これ白虎湯の証なり。或は曰

く、これ承気湯の証なりと。これ皆当然の理なり。然るに存の外なる真武湯のいくとこ

ろあり。また犀角、生地黄にて動気を鎮め、胸下をすかし緩めていくところあり。大抵

病人を診察すること、この如きものにて些少の模様をその中に理解して、薬を処するこ

と雲泥の相違あれば、見証ばかりにては別かち難し。能く脈状を丁寧にし、能く腹診を

綿密にして後、初めて治を施すべし。


凡そ疫病に戴陽し面の赤きは難しし。升陽散火湯、犀角湯の証にもあれかし、その湯

を与えて二日目あたり、赤色退くは良し、退かざるは難治なり。一病人あり。発熱し

て、とにかく夜中に熱甚だしくして、煩悶し、胸脇苦満し、心下痞●し、脚部に腫気あ

り、柴胡の証という。一巨手小柴胡湯を与うれども効無し。病益々熾なり。余これを診

視するに、この人平生腹皮貼背故、熱伏して、且つ痞にほださるるなり。余が治すると

ころは解熱に利水を兼ぬる方なり。柴胡湯のいくところに非ず。即ち犀角湯を与えて心

下くっと開きて小便快利し、夜中の熱止んで煩悶も減じたり。食も少しく進む故、麦飯

を喫せしめ、後に寛中湯に加呉茱萸、犀角、薯蕷、生地黄の方を服せしむ。日あらずし

て快癒せり。


犀角湯は『綱目』の方にて面白き方なり。犀角、竹茹、茵●、山梔子にて胸中を疏す

る故に、伏熱を解し小便を導き、生地黄は水分の悸動を鎮め、且つ茯苓に伴って水道を

通じ、芍薬にて心下の凝を解し、且つ甘草に伴って緩む方組なり。


升陽散火湯の証も上へしまりて、その故小水不利するに用いて治するものあり。『六

書』に「小水不利者不可治」と云うは涓滴も利せずと云うほどのことなり。陶氏のこの

言は傷寒論太陽の中篇に「手足躁□捻衣□床、小便不利者其人可治」と云えるより出た

る言なり。 参胡芍薬湯は升陽散火の前に行く方なり。大柴胡より変じ来る方にして、

脈腹大柴胡ほどの実したるところもなく、また胃中に実熱する勢いもなき故、大黄を去

る。また胸中に畜飲なく嘔気なく潤燥も主とする故、半夏を去るなり。もっともこの証

は日数を経て、熱気清解せざる故、津液乾燥するを以て人参、知母、生地黄、麦門冬を

加え、清涼解熱を専らにする方なり。


温胆湯は『千金方』より始まり、追々数方を製せり。何れも胸中畜飲を疏するを主と

せり。『千金』に「虚煩不得眠此胆寒故也」とあるは即ち水飲を蓄える故に胆が冷ゆる

なりと心得べし。この旨を心得れば方意も了解し、温胆の名義も明かなり。『三因方』

に茯苓を加え、『得効方』には茯苓、人参を加え、●雲林に至って六味を加えて竹

茹温胆湯とせり。清心温胆湯もこれより出たり。なかんずく竹茹温胆湯は、もっとも人

の唱える方なり。この方、表邪解し荏苒日を延き、熱にこびりつきて専ら胸脇肝部に欝

し、攻撃の剤も用い難く、また補柔の剤も用い難き故に、前の畜飲を疏する剤に清涼解

熱の薬を加味したる方なり。柴胡、黄」と伍せずして、黄連に代え、莎根と伴わせたる

は深く工夫を用いたるところなり。



竹茹は飲をすかすことを主とす。竹茹、竹瀝ともに胸膈へのみ効くものなり。上をす

かす故、下までも飲を通達するなり。もっとも竹は淡苦の差別なく用いて良き物なり。


犀角は全体肝気を緩むもの故、胸膈へしまるところの水飲をさばくなり。肝気にて尻

押しをする故、水飲が胸膈へ聚るなりとしるべし。


生地黄にて疫熱を解するは、実証に石膏を用ゆると同様の効験あり。故に、知母、生

地黄、と伍したるところは、即ち白虎湯の意なり。生鮮にて、勢い頗る峻なる故、胸膈

を疏滌し潤燥解熱はもちろんなり。嘔吐を止め、飲渇を治し、動悸を鎮む。然れども、

勢い頗る峻なる故に、虚脱の者には用い難し。大いに下痢を著く。元素曰く、性大寒胃

弱者□酌用之恐損胃気」と云えり。


地黄、熟地黄の分かちは、生柿、熟柿或は生大根、乾大根の分かちの如きものと心得

べし。生地黄の方はサッと解熱して鎮火するの力、峻にして胸膈に停滞せず、つまり乾

大根のムックリとしたる甘味を以て行きては、泥むところを引きかえて、おろし大根に

てスッと胸膈をおしすかすと云うあんばいなり。


大津の一吏、疫を患うるうち、吃逆を発すること五六日、微しく下痢ありて、その脈

一時に変革して定まることなし。諸医脱候の甚だしきなりとして手を束ぬ。余、視るこ

と半日ばかりにして曰く、「これ脱症に非ずして吉兆なり。旦より暮れに至って変ぜざ

るの悪脈ならば最も恐るべきことなれども、今この人に於いては然らず。これ肝気甚だ

亢ぶるの人なる故、此の如くの脈を見すものなり。」とて四逆散に生地黄を加え、古金

汁を入れたるを用い、門人某生を残し置いて帰れり。薬を服すること三貼にして脈候頓

に定まり、それよりして漸々快気せり。


升麻散火湯はやはり柴胡組合せにて、両脇へせまるものをすかすなり。この薬を用い

る証にして水分に動のつくもあれども、 強く引っぱるときは、その動、見えぬものな

り。引っぱり緩むときは、沈みたるところの動も見るるなり。


疫邪にても升陽散火湯などを用いて居るに、時合によりて、その後を滋陰降火湯など

と移るは方の転じよう穏やかにして甚だ手きれいなり。滋陰降火湯は全体腎家に欠くる

ところありて、その上、肺部手薄くなり常に咳嗽などあるものを潤して、虚火上炎する

ものを潤下するところの薬なり。


咳嗽の声も、段々と気をつけて聞き覚ゆれば、外感の咳、胃中伏火あるの咳、肝腎の

虚火より出る咳など聞き分けらるるものにて、即ち四診中、聞の一つなり。


小柴胡湯、四逆湯ともに肝脾の伏火を制する方なり。また小柴胡湯加石膏などは、そ

の伏火の強きものに行くなり。


もしまた、それほどに清涼することにてもなく、畢竟石膏の行く場合に比すれば、微

火と云うべきものにして、胃中めぐらず縮滞あるよりして、火を生じ上両脇肝部へ拒む

に因りて、咳嗽するものに小柴胡湯に葛根、草果、天花粉を加えたるを用いて、奇効を

得ること顆し。これ天花粉、葛根にて胃中の伏火を冷ますの趣向にて、銭氏白朮散の葛

根と同じ意なり。天花粉は胃中の火を冷まし、また咽喉のいらつきを滑らかにす。咽喉

の不利するに食塩を用いて、つき開くとは、うらはらの能なり。胃中に伏するところの

微火に因りて、上咽喉も不利し、 いらつく故に咳嗽す。そのいらつきを滑らかにすれ

ば、咳も自然と止まるの道理なり。葛根の胃中の火を冷ますもやはり、葛花を宿醒の症

に用ゆると同意なり。草果を用ゆるに至っては、大いに妙処あり。このものは先に胃中

の宿滞を逐うものなり。胃中宿滞あるときは必ず伏火を生じ、また、それへさして肝火

を添え、そのところを草果にてめぐらす故、花粉、葛根にて冷ますの術、活してくるな

り。昔日、或老医の伝に云う、 「外邪に色々発汗して汗も出たれども、その後のとかく

ほどよく解熱せざるものに、

小柴胡湯に草果を加え用いて奇効あり」と。今を以て考えるに、この組合せも面白きこ

とにて、やはり達原飲、九味清脾飲、七味清脾湯などと同意なり。達原飲は、かの募原

に達する意なりと。 然るに、かの募原のことを云いしは、つまり立言の題とせしものな

り。故に、それにて見て、所詮その募原のところを草果にてさばくには非ず。胃中の邪

火を散ずるがためなり。故に温疫論にも早く胃中に邪を結ぶことを云えり。そのところ

へ草果を効かせたるものなり。


右、小柴胡湯に三味を加うる方は、門人某、或は俗人より伝えて予に贈りし方なり。

この加減甚だ妙処あり。定めて凡医の組みしものには非ざるべし。


一男その妻女を哭し、初め妻女の病を省みるの時、微邪に感じ、後痛傷の時に至りて

大いに労倦しその邪熱もいよいよすすみて、遂に命じて疫と云うべき者になり、絶食、

下痢時々譫語し、唇舌乾燥す。然るにまた暑邪に感じて渇して小便不利し、腹裏水飲を

蓄う。これを推すに、ガブガブと鳴り、その熱の位は、桂枝人参湯の太陽の表熱ありて

協熱下痢する者よりは、熱の様子ふるいて小柴胡あたりの熱の位なり。されども右体、

暑邪をも受け、渇して小便数等の症もありて、 さながら小柴胡ばかり用ゆる症にも非

ず。また、附剤を用ゆべき場合もなし。故に先ず、柴苓湯を用いたれば諸症漸々緩みて

下痢等も止み、ただ譫語、耳聾の症残り、腹裏の水飲さばけるに随いて、水分の動を見

したり。これに因りて升陽散火に、薯蕷、生地黄、犀角を加えて用ゆ。


総て譫語はとかく、たわごとぐるめに初め言い出したることの条理をスッと言い抜く

を佳とす。ただ彼のことを一口二口言いさしてはまた、直ちに此のこと言い、また外の

ことに移ると云うようなる条理を乱して言うものは甚だ悪候なり。


時疫およびその外の病症にても、総て大病と云うに成りてからは、眼中反って精彩あ

りて美し過ぎるは、甚だ悪しきことにて、得ては是にて見誤るものなり。労症のしまい

ぐちなどには、別してこの候多し。必ずついに肺部へ強く聚るところの症なるにより、

肩背その外のところなどは、大いに肉脱していても、顔色は依然としてあるなり。婦人

など、とりわけ顔色の甚だ美しく成りているものあり。これ、いわゆる眼は五臓の精華

なりの意にて、その精華の上に聚りきて、まさに散脱せんとするの勢いなり。総て上沖

すること強き症の火気にて、明堂の勢いよく見ゆるも是と同じことにて、燈火滅せんと

欲すれば、その光を益と云うの意なり。疫などには、目ヤニ出て汚きようなるが反って

良きものなり。


舌色紅の色にて、ぬんめりと美しくなり、全体の舌の形を失いて光りありて乾燥し、

その圓う厚く成りて、柔らかにもしてたる如きは、参附の行くところなり。されども右

の舌候あるものは、附剤を用いてざんぐりするほどになること、甚だ難きものにて全体

悪き舌候なり。また、汗なくして譫言妄語などして居る症に、舌正黒に焦げてある上を

押しつぶしたるようになりて、乾燥して、その中に赤ぎれのように裂けて、そこより血

を出してその人立ち躁ぐものも附子を用ゆるの舌なり。総じて右の通りなるはその脈も

必ず根力なきものなり。然れども、これを浮にして大いにこれを按ぜば、沈微沈細にし

て力なしなどというが如く、 総じて浮大なる虚脈と、沈微沈細なる虚脈などは知れ易

し。只知り難きは弦緊洪大を帯たる処の虚脈なり。されどもこれも、よくよく心を用い

て診し覚ゆれば、分かるものにて、それ、いよいよ虚脈たることを知りて附剤などを用

い、よく病に的当するときは、右の弦緊洪大にしてぱちぱちと手を弾くようにし、厳し

き処の勢いはぬけて反って脈勢弱くなり、真の虚脈を見していよいよ附剤を用ゆべき姿

になり、病勢も緩みてこれよりしておいおい脈の精分もつくものなり。右様の処を考え

見るにへに色なる方は極虚の候なり。故に病深し。黒き方は却って病浅し。これ虚大薫

蒸の中にては実症の方なるゆえに病浅きなり。また、一体の容子を見て定めて、この人

は舌は黒こげになり、芒刺をも生じて乾燥してあるか、または黄胎にても甚だ厚くかか

りて有るべしなどと思いて、舌を出させてみるに思いのほか、依然として常の通りに潤

いありて、色も変ぜずは甚だ悪しし。舌候と症候と噛み合わぬ故なり。さりながらこれ

は全体心胸の間に閉る処あるにより、右の通りになるものにて、薬剤的当して熱気を打

ち上げるときは却って打ち通りて舌の真正面を見わし黒胎乾燥などというようになるも

のなり。左様なるは、随分佳兆にて悦ぶべきことなり。然れどもまた、間にはどう打ち

抜けても、熱強くなるほど舌候依然として変ぜざるものあり。これ不治の症なり。

また、舌のひととおりはげたるあとのざくつくものに、石膏を用ゆべきものあり、

附子を用ゆべきものあり、また、四物湯の類を用ゆべきものあり。この候ひ、方甚だ入

用のことにて常々病人に試むることなれども、何分紙上にては尽くし難し。故に、実事

の上にて伝うるなり。とかく舌診はただ陰陽虚実を弁ぜんがためのみのことにて、微細

の処においては強いて拘ることには非ず。

石附の分かちなどの如き難しき病人の上にて、虚実両道の大段を弁別する処において

は、これにて決せねばならぬことなり。脈候もおし回したる処にては、虚実の二つにつ

つまるなり。左様せざれば薬方かたつかず、舌候は諸病ともに同じものにて疫の舌も、

痘の舌も別のものには非ず。然れども、結毒あるの舌候に至りてはまた、別のことと知

るべし。先ず、諸病ともに皆、脈腹舌症の四つにて病因虚実等を決するなり。脈舌を取

らず、ただ腹候と症候をとり、用ゆるばかりにては、肝心なる処の虚実のことにおいて

尽くさざる処あり。


総じて、舌に白胎を持ちながら、その下に全体の色は牛舌の如く、藤色に黒みを帯た

る様に見ゆるは甚だの悪舌なり。この舌にて面戴陽などするはなおさら悪しきなり。


結毒ある人の舌は、上の部は白けてありても、その中に何となく黯色とも云われぬあ

じなる色を帯たるものなり。また、舌の下つら薬缶のつち目の如く、べったりべったり

としたる処あるものも、また一種の毒舌なり。これら古人の説にも云えるところと、引

き合わせみるに、血分に毒あるによりて、右の通りの形を見すなり。是を以て、馬明の

血分に行く者を用ゆる処と符合するなり。また、この症に四物剤を用いねばならぬもあ

り。


馬明退は肌表のことを主るにあらず。 血分にある毒を動かし、かつ消散するものな

り。故に広く用い試みるに悉く右のあんばいの処へよく効くなり。これらもやはり草根

木皮の及ばざる処へ効くものと心得べし。


発汗後、及び吐下の後に多く水飲を蓄ゆることあり。これは、全体外邪の人を犯すと

きは一身中の水気を動かすゆえ悪汗も発熱もこの水気の変動に因りて然ることなり。こ

れによりて、薬剤的中してその邪気あじよく皮膚の汗へさして漏れ出れば、その水気の

動じたるものも、邪とともに漏れ出るなり。これ吐下して取るも道理は同じことなり。

然るに、もしその薬的中せずして汗になるはなりても、ただ汗のみとれて、邪気あじよ

く解せざればそのあとにて必ず水気を蓄わゆるなり。これただ汗を出すばかりにて、邪

気にからくみたる水毒さっぱりとぬけぬ故、その基をおしてみれば、悉く皆その人の脾

胃に勝れざる処あるか、または今一等悪しきは、脾胃ともに云う分あるかと云う人にあ

るものなり。


小児時令に感じ、熱あるものなど、ただ時令あしらいのみしては、甚だ埒の明かざる

あり。時気に因りて持ちまいの肝気を動かし、額などに青筋立て、甚だ腹立てやすきも

のには、抑肝散にて至りて、手きわにさむるあり。


熱病の、こしけたるに薬の少し効き出たる処にて、初めて遠口臭を発し、かつ唇燥な

どするようになるものあり。




柴胡桂枝湯の症に、心下支結とあるは、ぷりぷりとしてうね立つなり。桂芍と組て行

く時は、表へ凝りを見わしたる処を治するなり。これ心下の容子は、大柴胡とも、瀉心

湯とも別なり。よくよく意を用いて候うべし。


桂枝は二行通り及び任脈へもかかるものなり。芍薬もこれに同じ。これらは、先ず両

脇には、きっとかかるものにてはなし。建中湯など用ゆる腹は、その攣急及び皮表に浮

かびて腹皮も薄し。大柴胡及び四逆散などは腹皮の今ひとつ裏にて攣急し上皮は厚きが

如し。


先生、四逆散の方を棄廃の中より取り挙げ、用いられしより、世医往々これを称し

用ゆ。然れども、その腹状症候をよく理解するにあらざれば効験なし。この方もと傷

寒論において、症を説くこと詳らかならず、文章の体裁また本文にあらず。故に、本

論によりてこの方を用いんとしては、方証相対しがたし。 いま方意を詳らかにする

に、この方もと大柴胡の変方にて、熱実なき故に黄ごん大黄を去り、胸脇を緩むるこ

とを主とする故に、甘草を加う。そのその腹状を指してこれを云うは、元来この証脇

下凝結甚だしくして深く、胸中へさしこむ故に、上の部はかえって緩く見え、これを

按じて腹底に徹して攣急するもの、ちょうどその腹小建中湯に表裏して、小建中の攣

急は専ら中かんにありて腹表に浮かび、四逆散の攣急は専ら脇下にかかりて腹底に沈

むなり。故にこの腹状をもって、外邪の証にても、雑病にても、何にあれ見証不相応

の種々の症候見わし、たとえ四逆厥すとも、皆胸脇凝結よりなす態にて少陰の証にあ

らざることを認めて、この方を用うべし。近来、嬰児論に病態随時変動胸脇攣急す、

とよく四逆散の証を説けりと謂うべし。按ずるに、この方本論に四逆等分とあり。然

れども枳実を減少し、他三味を等分にすべし。さなくてはこの症に応じ難し。先生常

に試み得てその分量を定めりという。


虐の発しかけたる時よりして、熱の冷めざる中、煩渇するとも薬を用ゆることを禁ず

べし。 とかくさめぬうちに薬を用ゆればかえって薬煩して熱の覚ゆること遅きものな

り。覚えぬ間は、白湯もしくは葛湯など用いて置くべし。左様すれば、3時のものなら

ば2時にてすむなり。また虐は色々怪奇なること多し。故に虐鬼ありなどというは、皆

これ肝気のなすところなり。はじめは、天行にて多くは夏秋の間、暑湿の邪気脇下に伏

して伏邪の発するところなり。伏邪のあるところ、肝部にありて肝癖よりして寒熱を発

し、連綿として日を延くなり。もと天行にて肝気のなすところなるが故に、多くは移精

変気の術にて治するなり。これ天行の邪気にて肝気の動じてあるを一途に決定させて、

それにて肝気静まるに因りて落つるなり。三四発の後、脈状熱候やや緩むを察して、章

門、京門に灸すべし。截虐の妙法ここに過ぎたるはなし。その虐母と称するものは、戦

寒燔熱ぶて激動せられ、脇下の肝癖浮き起ちて寒熱治しての後までも、暫時は旧の盤踞

処へおさまらざるなり。



癪癖多き人の瘧を発するに小水短渋するというにてもなし、和通しながら必ず頻数

なるものなり。また、脈にも左右不釣り合いになりたるものなり。全体これは微邪なれ

ども伏邪にて肝部へかかり脇下に結集する故に、癖物のつきこみにて脈路を塞ぎ、左右

不釣り合いになり、また下も疝を動かして腰痛するもありて、小水頻数なるなり。


瘧疾を患いて後、血色の旧に復せぬ処を、栄衛の虚の復せぬ故なりというは、入ほが

なり。百病ともに何れ栄衛にかからざるはなし。瘧に限りたることには非ず。瘧後血色

の復し難きというは、両脇へ集まること強き病にて、そのつきこみ緩み兼ぬる故なり。

右両脇へ集まること甚だしき症なる故、間日に発することを為し心霊あるが如き奇怪の

候を見すなり。 平人にても両脇へ気の集まること強きときはたちまち血色悪しくなり

て、手足も振るい出るを以ても考え知るべし。


瘧疾に食禁はいらぬものなり。茄子、胡麻、南瓜、及び醋気など俗家にては禁ずれど

も食せて苦しからず。


瘧疾の截薬柴桂湯に常山倍加3帖を朝の七つより発するときまで温服して湯をあいせ

るなり。     


常山和産は功なし。


常山は、肝部をすかすものなり。或いは俗方に小児の疳に用ゆることあり。宜なり。

瘧を治すること、この物肝気を疏するよりして、截瘧の功用あるなり。


老人の瘧の截薬には、広参煎汁にて熊胆を送下す。


某侯瘧の患あり。すでに癒えてまた発し数日を経て治せず。予、段々灸治をすすむれ

ども諸医外邪に灸は忌むことにて以ての外のことなりいう。これに因りて、何分狐疑し

て決せられず、いわゆる衆口金をとかして、そのことかれこれ遅くなり再発の悩日をひ

きて延いて治せず。その後も度々灸治のことを進むれども猶いまだ用いられず。故にそ

れよりして後は強いてすすめず。ただ時々診察して居たるに数日ありて彼方より、この

節にいたりて灸治はいかがやと問われたり。予即ち云う先頃以来しきりに灸をすすめし

こと決して外邪への障りなきを知らずしてこれをいわんや。かつ高貴の人に対し一旦言

を出して後にて、彼様は云いしかどもさにあらで実はかようかようなどと、言を違えん

は甚だ不埒なること故再三思慮に及んでの上のことなり。然るに諸医外邪のことに拘泥

して灸火を恐るるの説に惑わるるの故に遷延して病の癒えざること今日に至る。畢竟右

体同じ趣のことを毎々申したるは、何かにもして早く病の治せんことを思える意を尽く

したるに候うことなり。この上は用いて福となし或いは用いずして禍となすは君の自と

する処にあるのみ。故にまた敢えて云すとここに至りて深く予が説を是なりとして灸治

を用いられ、灸すること両度にして寒熱頓に失す。さてその後数日を経てまた往しとき

云るる様、先ごろ以来漸漸快気を得たり。さりながら往時木曽の山路を経たる頃かの地

に於いて受けたるところの処の邪気今に残れるに因るとみえて、唯小水の濁ること今猶

あり。その他は日に随いて快し。これ全く色々心配にあずかりし故をもってなりと。予

云うすでに灸火をもって瘧疾を截る。これ外邪の云うべきなきを以てなり。然るに何ぞ

残熱のことあらん。もし残熱ある時は灸火あによく害を成さらんや。畢竟いま小水の濁

るものは固有の疝の為すところにて連年あるところのことなり。今に至りては悉く皆疝

のことなり。また瘧の時分も段々薬剤等のことも聞くことを得たれども畢竟ずる微邪の

こと何にてもすむことゆえ五苓散にても不換金にても医の用ゆるところのままにて佳か

るべしといえり。右の場に於いては強いて入れ組みし工夫を用いるほどのことにあらざ

る故なり。然るにこの頃にいたり段々右の症も治したるにつけ、却って平日の上に於い

て養生甚だ大事なり。これよりは勤めて八味丸などを用いらるべきことなりと云いしか

ば、甚だ実意の段を忝なき由にて何なりとも存慮の筋を包まず教諭しくれよとのことな

り。



然からば存し含し含みたる通りを述べんとて云う様は久々貴恙を拝診せしによりて貴

体の様子を会得せり。先ず全体の天授せられたるところは厚といえども、後天に於いて

かれこれ下元を薄く成らせられたるところある故、これよりして益々疝などを動かし白

濁等のことも絶す。ただ天授せらるる処の厚きことのみ称して他の人には異なる故など

と阿諛せば一時の利を求めるにはよからんなれども医の全体は然らず。予がカクボウなる

が如きは侯の常に知れるところなり。故にわが職分のことに於いてはこれを大事と思う

ことあれば、王侯といえども憚からずしていささかの忠を尽すはわが常なり。先頃より

も云える如く人身の腎気は時計のおもりの如く至りて大事のものなり。然るに今侯のお

もり既に軽くなれり。この上にいよいよ下元を損じられては益々疝をも動ずる故に、も

しその疝にて手足等を牽攣し中風の形などを見わさばいかがせん。もはやこれより追々

階級を進まるる処あらかじめ指を屈して待つべきに似たり。もしその時に至りて自然手

足も廃するようのことありては何の甲斐かあらんや。故にとかくこれよりは腎気の節約

第一なり。腎気を節約するは閨房を遠ざくるにあり。たとえば十分満腹したる上にても

その傍らに菓子肴などあればひとつとって喫するものなり。これそのものに近づけばな

り。次の間にあるをわざわざ立ちて食いには行かぬものなり。故にとかくそのものを近

づけざるにしくはなし。養生の第一は房欲を慎むことなり。これ予が阿諛せざる処にて

いささかの忠誠を述べ、わが職分を尽くすものなり。その禍福の如きは君自ずから取捨

せよ。もしこれを以て罪を得んも敢えて辞せざる処なりと云いて帰りたり。


我が郷は水国にて湿邪に感ずるの所為なるか瘧疾多し。 大抵瘧を患えざるものはな

し。人によりて年々患うるものありて、これを病めば伏邪をのぞくなどと云いて幸とす

るあり。夏秋尤も多く四時に皆あり。他の邦より来寓するものなど得てはこの疾にかか

難儀するあり。土地のものは多く病む故にその病状を知り他国ほど恐れをなさず。また

他国より軽きに似たり鄙しき田夫の族は初め分明ならざる間は薬服すれども瘧と定まれ

ば田螺をとりて誓いなど種々の轉気を成して自治するなり。然れども初瘧は日を経て治

し難し。 これも幼年に病むは軽く年の長ずるほど重して得ては百日ばかりもかかるな

り。然れども十発ばかりもすれば段々軽みてたとえ発りても病床に著す或いは間日或い

は数日を間てて微かに寒熱を覚え荏苒日を延くなり。愚案ずるに大抵病は習わしなるも

のにて鄙賎のものは軽く富貴の家は重し。瘧疾も近年脚気の症に兼ねて疚むものありて

ややもすれば衝心を引き出し数人死したるものあり。おそるべし。なるほど截瘧の薬に

て頓に落つるものは一通りのものなり。 人参養胃または医王湯などへ進むものは難し

し。小児の瘧は鷓胡菜湯回虫を下せば妙に癒ゆるものなり。


癇にて大いに閉じ人事不省のもの薬汁下るもあり下らざるもあり。この症に工夫をも

って頻に大灸をするなり。世医多くはみな五十壮百壮ばかり灸してみて応ぜずとして止

めるあり。これ未だにその意に達せざるなり。随分大灸にして終日夜続けて灸すべし。

甚だしきものは灸して七日にも至るなり。また時疫中に癇を発するあり。これもやはり

かまわず灸すべし。世俗ともに多くは皆熱気あるところへ灸することを甚だしく忌むも

のなり。故に病家へもよくよくそのわけを説き聞かし灸すべし。灸治相応してにに癇開

くに至れば疫熱も一所に抜けてしまうものなり。これ畢竟癇と疫熱とひともつれに成り

てあるゆえ大灸に叱り散されてしめがらみたるところの癇の開くにつれて邪熱もひとつ

に散するなり。この後にて表を治することは決して入らぬものなり。これによりてかの


裏を救うには四逆湯によろし、表を救うには桂枝湯によろしと云えるなどの治術を知

らざる人の書述しことを知るべし。四逆をもってその症を治すればその後に表症は残ら

ぬはずのものなり。また右の通り強く癇を発したるもの多くは仰臥しておるもの故背中

へは灸し難し。故に中カンの開き天枢徹腹章門京門あたりへ灸すべし。必ずしも枝葉へ

眼をつけずしてとかく根本へさしつけて治を施すべし。



虚煩不得眠と云うも、厥陰篇に本文にて解してあり、按之心下濡者為虚煩也とあり、

梔子鼓湯のところにて弁ずべきを漏らしたり。これもやはりかの停食の腹候の如き也。

停食の腹は心下凹してある者あり。虚字虚谷有聲などと云える如し。ただフワフワと麩

の如きにはあらず。濡というも全く腹底まで軟なるにあらず。この症など何分右体の煩

悩あるにフワフワとする腹にはならぬものなり。故に腹候この如きは虚濡と云えし。こ

れ虚濡の形になるは胸中へ集まる故に心底にて引っ張るものなり。この弁をもって分か

つべし。


半夏瀉心、甘草瀉心、生姜瀉心湯あたりの痞は、必ず腹表へ浮いてある故、よく手に

応ずるものなり。


大黄黄連瀉心、附子瀉心湯あたりの痞こうは、腹底に凝り著して表分へ浮き立たぬゆ

え、手に応じ難し。姜桂湯においていうところの心下微結の意気方にて腹表へは痞こう

の様子知れ難き故に、按之濡とは云いたるなり。この具合大黄を組み合わせたるをもっ

て知るべし。先ず黄連にて胸中をすかし大黄にてグッとおして行くの意なり。ここへた

だの瀉心湯を用いては何分その強く底に凝りたるところの痞こう緩まぬなり。また右の

症にして今一段の背方へ厳しくごて著したるものにて、大黄ばかりにては力届きかぬる

ときは、附子を組み込んで浮かせるなり。すべてこの類の方に用いたる附子は底にごて

つきたる病を動かして浮き立たせるためなり。この大黄と附子のすり合いの具合よくよ

く意を用いて会得すべし。四肢厥冷には至らずして、ただ上へつきつめ頭汗など強くで

るに附子に浮かせ大黄にて下へさして推し下すときは、クッと浮き立ちて緩むなり。大

黄附子湯にて浮かせるも同意なり。


三黄湯の腹も底へしまり強きものなり。大柴胡及び四逆散加大黄などは三黄湯などに

比すれば上皮についてしまり強きを下すの意なり。


地黄剤に附子とすり合わせるもあり。大黄とすり合わせるもあり。オウゴン黄連とす

り合わせるもあり。その病状腹候によりて拠り所なく色々に組み合わせねばならぬ模様

あるものなり。久下痢などの症に一体の様子は是非附子と行きたき様に見えながら、よ

くよく脈腹をていねいに診候するときは、何分附子にてはよろしからず。却って半夏瀉

心湯に薯蕷、生姜などと組まねばならぬあり。これらのあんばいは、古方りきみのひん

ひんとした医などは捧腹して笑うことなれども実時の上にては是非ともかようの組み合

わせなければならぬことなり。この症などは専ら水中に火を持ちて下痢するものなり。

症によりては、真武湯を用いてよきもあり、また四逆散などにてよき久下痢もあり。と

かく診察を丁寧にすべきことなり。



石膏と附子と組み合わすときは、虚寒あれば必ずそれへ火添えて附子の受けあんばい

悪しきと云うところへ行くなり。これ石膏にて附子の勢いを削ることにもなり火をも制

するという気味合いなり。また石膏を行きてもなきと云うほどの処へは、附子を滑石に

伴わせて用いることあり。猪苓湯に加附子などというの類なり。また、附子をわい制に

して用ゆるも向の火にさわる故附子の勢いを削るなり。製附ばかりにてはまた火にさわ

ると云う処へは附子、生姜と組み合わせ用ゆ。八味丸の意なり。附子瀉心湯、大黄附子

湯なども主治功能は違えども大黄は石膏の代わりの気味合いなり。後世の薬方にも苦寒

と辛温とを並び用いたるあり。これらはみな具合ものなり。連附六一湯など尤も工夫あ

りて組みしものなり。総てそれぞれの行くべき症なれども、さわるところあって、受け

具合悪しきと云うところにてやむを得ずそれは組みしものなり。


小鳥を捕る吹き矢にもがりをつけるとて、矢の先の肉中へ入りてひっかかるように逆

にそぐことあり。薬剤の組み合わせにもこの如きあんばいあり。済世実脾散などにはこ

のもがりある薬というべし。木香、木瓜、檳榔、草果などこれなり。真武湯などにはこ

のもがりなし。実脾の方は右の品にて或いは推し或いは開きなどする故にヌッポリせず

して附子をよく働かせるなり。木香は胸中を推し開き、木瓜、檳榔は心下を推してすか

し、また檳榔、 草果、 厚朴と組みて胃中を推しすかしめぐらせ、姜附にて水寒を温煖

し、また甘草、乾姜にて心下をゆるめ朮、苓にて胃中の水を下し水導へさばくなり。真

武湯、附子理中湯などは、水の肌表に見る症にあらず。四肢沈重疼痛して少しは肌表へ

も水気の及ぶと云うくらいには用うべし。されどもまずは腸胃間に水の聚りたるものな

り。故に真武などを肌表、心胸のことに用いてはヌッポリとして働き悪しきなり。実脾

散は、香六加附などとも違えども全体は虚症にて実症にはあらず。やはり附子を用いね

ばならぬ症なれども、然からばとてベッタリとしたる附剤もやれず、何れ鬱滞を兼ねた

るの症にて胸肋心下へ聚るところあるの症なり。故に虚中の実とも云うべし。かのジョ

ビジョビとして腹力なきものにはあらず。この方より外に、附剤にて推しすかすところ

の組み合わせ古方中になく、宋の時分などにも甚だ希なり。故に予この方を取り用ゆる

なり。宋の危益林の得効には、朴附湯とて附子、厚朴二味の方もあれども、今ひといき

なり。また同書に木香入りの薬を鼓脹類の中気薄きものに用ゆる方もあり。


総じて古来の方書を読むにも、大黄、附子とすり合わせ、または石膏、大黄と組み合

わせ、または附子、黄連とすり合わせたるところなどの趣意に骨を折りてみるべし。


総じて古来より組み立てあるところの薬方にも、例えば四隅の荷物柱の如く重荷のか

かる方と、間の柱の如く荷のかからぬ方とあり。そのあいだの柱は何れにてもすむもの

にて、竹をもってしても、杉材にてもよし。これ只たけつけまたは、上のあしらいにな

るまでなり。後世の方にても数の中には何分この方なくしては、叶わぬという彼の荷物

柱になるところの方ありと知るべし。



一男子年二十五歳、四年来右膝微腫して行歩艱難、その状やや鶴膝風に類す。その腹

を診候するに右臍下拘攣尤も甚だしく、これを按ずときは右脚に引きて痛み、また右膝

の腫れたるところまた左膝に比すれば頗る別に筋肉を貼するものの如し。右荏苒たる病

を抱きてその人、性甚だ急迫なり。初め大黄附子加甘草湯を用い、後四逆散加良姜、牡

蛎、劉寄奴を加えたるを用いて癒ゆることを得たり。この症すべて肝気によりて成るも

の多し。故に唯足のみに目をつけては多くは治せず。畢竟威霊仙、杜仲、牛膝などを用

ゆるは皆枝先のことなり。右腹裏の癖物へ取っつき病の根本へかけて治すれば薬方を用

ゆること、至りて簡約にして効験を得ること甚だ的実なり。この病人などは余程病毒こ

し尽きて一通りにては動きかぬる者故、先ず大黄附子湯を用いて、癖物の腹底に沈みた

るを動かし、浮き立たせしものなり。この症の小腹に沈固したる癖物などは、附子にて

浮かすこと尤も大事なり。此ししてこみの?模様よくよく意を用いて見覚ゆべし。され

ども附子ばかり用いては、いたずらに病を激動させるばかりなる故に、その動ずるとこ

ろの勢いを大黄にて削り取りて下へ抜き、また大黄におしつくるところを附子にて互い

に持ち上げさするの手段なり。これ薬方の妙用なり。また、附子は脱腸を挽回するの能

ありというのもやはり、腹の沈む故に厥冷、脱腸するなり。その沈たるを浮すれば即回

陽するなり。脱腸というを外の如く心得るは非なり。この如くに貫通してみれば、至り

て簡約になるものなり。至りて簡約にして用をなすことは却って広し。また、鶴膝風と

いうも古人命名の義を後世には取り違えて居るなり。外邪、風湿のことより来たると心

得るは誤りなり。総じて風字を用ゆるの病、外邪を指すの外に様あり。伝変至速なると

ころの病を名付けて風というと、ひとつなり。また、肝経より事を発するものを名付け

て風というと、ふたつなり。是即ち厥陰、風木の義に取りたるものなり。鶴膝は形をも

って名付け、風は風木によりて名付けしものと知るべし。


一婦人年三十五、病毒にからめられ体型十二、三歳なる女子の如く脊僂まりて亀背の

如く両膝屈みて伸びず。脚肉痩削すれども膝頭に凝りて鶴膝をなすにもあらず。また月

事も少しずつ通ずるなり。然れども此の如き病人なればふとんに載せて舁ぎ行くにあら

ざれば自由なり難し。その脈は沈緊なり。その腹は所謂虚濡と云う状にて背を貼し、肋

下を探るに攣急の筋さし内り緊しく胸背へしめこみたり。この症何にても上胸膈を推下

し、疏滌するにあらずんば治することあたわずと云いて、家方理気湯加山慈姑を与え紫

円を兼用し、数月ありて全癒することを得たり。これらの症は腹中の癖物も脇筋へ差し

込み引き上がること甚だしきに因りて底にて攣急するなり。専ら胸膈中のことゆえに、

大黄附子湯とは行きがたし。これがために理気湯をもって胸中癖物を推下し、紫円をも

ってそれへさして、畜聚したる水毒を疏滌したるなり。


紫円の効能は先ず赤石脂、代赫石ともに胸膈の気を鎮墜してすかすものなり。杏仁も

利気のものなり。胸中疏利するときは、上下昇降の気出来るところを巴豆をもってつき

下して行くの意なり。


蕉窓雑話初編                           終わり

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发表于 2013-7-31 15:11:25 | 显示全部楼层
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